樫山文枝さんは東京出身の女優。
経歴や学歴は?
夫は俳優の綿引勝彦さんですが、馴れ初めは?
子供は息子との噂がありますが本当でしょうか?
若い頃の画像は?
気になったので、女優の樫山文枝さんについて調べてみました。
樫山文枝の学歴・経歴
名前 樫山文枝
生年月日 1941年8月13日
出身 東京都武蔵野市
身長 162cm
所属 民藝
高校・東京文化高校
大学・大学には進学していません
父親は元早稲田大学文学部教授で哲学研究者の樫山欽四郎さん。
威厳はありましたが、怖くはなく優しい父親だったといいます。
伯父の樫山純三さんは大手アパレル・宝飾品会社のオンワード樫山の母体となる、樫山株式会社を設立した実業家。
両親共に長野県小諸の出身で、当時としては珍しい恋愛結婚でした。
母親の実家は裕福で、戦争末期にはそこに疎開したといいます。
戦後も夏休みは小諸で過ごし、第2の故郷だと話しています。
高校は東京文化高校に進学。
東京文化高校は現在は新渡戸文化高校という名称です。
東京都中野区にある男女共学の私立高校。
現在の偏差値は50。
男女共学になったのは2017年からでそれまでは女子校でした。
樫山文枝 女優デビュー
父親が劇団民藝の友の会会員だったこともあって小さいころから民藝の舞台はよく見ていたそうです。
『将来は女優になりたい』と思ったのは中学3年生の学芸会で『夕鶴』のつうを演じたときだとといいます。
以降、女優になりたいとの思いは高まりつづけ、高校2年生の時に難関の俳優座養成所のオーディションを受けますが、『卒業してから来なさい』と言われ、高校卒業後に再び受けて合格。
俳優座養成所12期生として入所しました。
同期には長山藍子さん、中村敦夫さん、山本圭さん、加藤剛さんがいました。
1963年、3年間の俳優座養成所を卒業後は劇団民藝に入団しました。
入団2年目のとき、子供の頃に劇団民藝の舞台を見て憧れていた『アンネの日記』のアンネ・フランク役で舞台デビュー。
1966年4月、NHK朝の連続テレビ小説『おはなはん』の主人公、浅尾はな役に抜擢。
当初、主人公・はな役は森光子さんに内定していましたが、撮影開始直前の1965年11月に急病(乳腺炎)により降板。
樫山文枝さんに急遽白羽の矢が立ったそうです。
同番組は最高視聴率56.4%の人気番組となり、樫山文枝さんは一躍有名女優にまりました。
『朝日新聞の2010年9月25日付の『beランキング 心に残る朝ドラヒロイン』のアンケート結果では、『おはなはん』で主演した樫山文枝さんが第1位でした。
樫山文枝の若い頃の画像
樫山文枝さんの若い頃の画像。
【ちょっと一興??】
モノクロ(番宣用)?カラー
連続テレビ小説『おはなはん』
〔NHK/1966~67年放送〕より(左から)#樫山文枝 #津川雅彦 @retoro_mode pic.twitter.com/fl0eTvKBT2
— しがない三四郎 (@shinya_bokudake) October 10, 2020
樫山文枝さんが『おはなはん』に出演した26歳の頃の画像です。
ゆづみんは若い頃の樫山文枝さんとちょっと似ているなとたまに pic.twitter.com/H6K5HI6mwp
— TARA massacre (8番) (@shoplifter1974) March 9, 2021
樫山文枝さんが30代くらい?の画像です。
樫山文枝と夫の綿引勝彦の馴れ初めは?
樫山文枝さんの夫は俳優の綿引勝彦さん。
「結局コメント拾ってもらえるのは認知のあるオタクだけ」とインスタライブ後にツイートが荒れる綿引勝彦。まだ誰のものでもない!? pic.twitter.com/Ew75yyKxmx
— ほうず茶ラデ (@kanjou_bugyou) May 17, 2020
1974年に結婚しました。
年齢は樫山文枝さんが4歳年上。
結婚したとき、樫山文枝さんは33歳、綿引勝彦さんは29歳。
馴れ初め・出会いは劇団民藝。
綿引勝彦さんは劇団民藝の後輩でした。
1970年頃に出会い、当時は樫山文枝さんは『おはなはん』の主演を努めた人気女優で、綿引勝彦さんは、研究生で裏方でした。
住んでいた家が近く、稽古などで遅くなったとき、綿引勝彦さんが樫山文枝さんを家まで送っていたといい、このことがきっかけで交際に発展し結婚に至りました。
2人に子供はいないようです。
『樫山文枝』や『綿引勝彦』と検索すると『息子』と関連ワードがでてきますが、インタビューで『子供はいない』と話していたようです。
夫の綿引勝彦さんは2020年12月30日に膵臓がんのため、死去。
75歳でした。
綿引勝彦さん本人の強い希望で、病気について誰にも明かさず、自宅と信州の山小屋で療養をしていたと後の明かされました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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