笑福亭鶴光さんは大阪府出身の落語家。
経歴や学歴は?
笑福亭鶴光さんの子供は息子と娘?
笑福亭鶴光さんの松本明子事件とは?
気になったので、落語家の笑福亭鶴光さんについて調べてみました。
笑福亭鶴光の学歴・経歴
名前 笑福亭鶴光
生年月日 1948年1月18日
出身 大阪府大阪市
身長 165cm
所属 松竹芸能
笑福亭鶴光さんは大阪府大阪市出身。
1人っ子。
両親は笑福亭鶴光さんが生まれ前に離婚。
母親は働いており、5歳まで母方の祖父に預けられて育ちました。
6歳の時に母親が植木職人の男性と再婚ししたが、収入は少なく母親が生活を支えていたといいます。
父親には3人の兄にあたる連れ子がいたそうです。
最終学歴は天王寺第二商業高校
天王寺第二商業高校は定時制高校。
1992年に4つの高校で統合され、1995年に閉校になっています。
笑福亭鶴光さんが落語に興味を持ったのは、1人っ子だったということが理由のひとつだったといいます。
1人っ子で家に遊ぶ相手がいなく、昔あった貸本屋で本や漫画をかりて読んでいたそうです。
その流れで、落語の本を借りるようになり、落語の本を読んでいるうちに自分でもやってみたいと思うようになったといいます。
中学時代には新聞配達のアルバイトを始めましたが、父親のかこの新聞料の金未払いが発覚し、アルバイト料から未払い分を差し引かれたことがあるといいます。
落語を実際にやってみたのも中学時代で、ジオで落語を聞き覚えるようになり、学校のホームルームの時間などに演じたそうです。
中学時代の成績は良かったそうですが、父親の連れ子の兄3人が高校にいっていないことと、家計が苦しかったこともあり、高校は定時制に進学。
昼は働きながら、高校では演劇部に所属。
高校1年生の時、MBSで放送されえていた視聴者参加型の公開演芸合戦番組の「素人名人会」に出演し落語を披露し最高賞の名人賞を獲得。
「素人名人会」は大阪で1960年から2002年まで続いた番組でスターへの登竜門とも言われ、漫才ではダウンタウンやオール阪神・巨人、歌手では坂本冬美さんや夏川りみさんも出場しています。
名人賞をに受賞した笑福亭鶴光さんは賞金1万円と高級ズボンの引き換え券をもらえ、これは普通のアルバイトより儲かると思い数々のオーディション番組に出場。
高校生結構な小遣いを稼いだので、プロになれば生計を立てられるだろうとプロを目指すことを決意。
笑福亭鶴光 落語家に弟子入り
笑福亭鶴光さんは高校卒業後、6代目笑福亭松鶴に弟子入り。
入門する際、笑福亭鶴光さんは直接訪問せず、往復ハガキに、
「弟子にするなら○、弟子にしないなら×で返事をください」
との内容を書き郵送したそうです。
いつまでたっても返信がなかったので劇場に直接訪問したところ、ハガキで入門を求めたことに加え、宛名の笑福亭を「松福亭」と間違えていそうで、
「ナショナルの会社へ行って、東芝と言うてるようなもんや」
と会ってすぐに激怒されそうです。
しかし、その時たまたま持ち込まれた師匠の独演会チラシが同じ間違いをしていて、
「プロが間違うなら、素人が間違えても仕方がない」
と弟子入り許されたんだとか。
弟子入りに成功しましたが、稼げるどろか最初は無給。
笑福亭鶴光さんは自分の家もありましたが、ほとんど帰らず、ほぼ住み込みだったといいます。
ただ、師匠といればご飯は食べさせてもらえ、芸も教えてもらえたそうです。
高座名は師匠から「鶴之(つるゆき)」と「鶴光」のどちらかを選ぶように言われ「鶴光」を選択。
初舞台は1968年2月の新花月。
笑福亭鶴光さんは20歳でした。
笑福亭鶴光 人気ラジオパーソナリティに
笑福亭鶴光さんは入門直後から「まずは顔を売らなければ」と考え、関西ローカルのテレビ番組やラジオ番組に出演。
当時、笑福亭鶴光さんは長髪でその落語からしからぬ風貌と、利いた喋りはすぐに注目され、ラジオ番組だけで13本のレギュラーを持つ売れっ子になりました。
1971年4月からは関西の人気ラジオ番組「MBSヤングタウン」パーソナリティに抜擢。
1974年1月からパーソナリティのあのねのねがライブツアーのため3ヶ月休むことになり、代役で「オールナイトニッポン」に出演。
笑福亭鶴光さんは代役ということ知らず、数枚しかなかったリスナーのハガキからその事実を知り、どうせ3ヶ月で終わるなら好きにやらせてもらおうと開きなおり、ドギツイ下ネタを炸裂。
結果、下ネタが注目を浴び、笑福亭鶴光さんは全国区への足がかりをつかみ、同年4月から曜日枠でレギュラーに昇格。
最終的には当時の歴代パーソナリティ最長の11年9か月という記録を樹立しました。
笑福亭鶴光の子供は息子と娘?
笑福亭鶴光さん子供は娘と息子。
娘はありさん。
息子は新之助さん。
娘のありさんは小林ありさの名前で漫才をしていたことがあり、落語家ではありませんが、一時期は父親の笑福亭鶴光さんに弟子入りしていたことがあるようですが、現在は廃業しています。
息子の新之助さんも笑福亭新之介の名前で弟子入りをしていたことがあるようですが、プロにはならなかったようです。
笑福亭鶴光の松本明子事件とは?
松本明子事件とは18歳だった松本明子さんが、生放送番組で放送禁止用語を発言してしまった出来事。
1984年のフジテレビの生放送番組「オールナイトフジ」とラジオ番組「オールナイトニッポン」の二元同時生中継で片岡鶴太郎さんに「付き合ってる男の名前ばらすぞ」とからかわれ、松本明子さんは「やめて。なんでもしますから」と懇願。
笑福亭鶴光さんがだったら「カメラに向かってオ○ンコ」言えといい松本明子さんはカメラの前で言ってしまい、そのまま羽交い絞めされスタジオの外の連れ出されたといいます。
松本明子さんは香川県出身で、その言葉の意味を知らなかったと語ってます。
笑福亭鶴光さんはまさか言うとは思わなかったと話しています。
松本明子さんは2016年1月に放送された「しくじり先生」では3回大声で叫んだと話していますが、放送されたのは1回だけだったようです。
このことはフジテレビで問題になり、松本明子さんはフジテレビからしばらく出入り禁止の処分を受け、他局の仕事も減り、キー局の生放送は2年弱ぐらい出られなかったと話しています。
松本明子さんは当時、デビュー後半年ぐらいのアイドルでした。
2年ほどたった頃からバラエティ番組に出演するようになり、アイドルからバラエティー路線に転向。
その後は「バラドル」の第一人者として活躍するようになりました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
コメント