庄野真代さんは大阪府出身のシンガーソングライター。
代表曲は「飛んでイスタンブール」
大学や高校などの学歴や経歴は?
結婚して旦那や子供はいる?
気になったので、シンガーソングライターの庄野真代さんについて調べてみました。
庄野真代の学歴・経歴
名前 庄野真代
生年月日 1954年12月23日
出身 大阪府大阪市
身長 162cm
庄野真代さんは大阪府大阪市西淀川区出身。
父親はメッキ工場の職人で、母親は自宅で洋裁店を営んでいました。
3人姉妹の長女。
庄野真代さんは子供の頃は病弱で、すぐに熱を出し、しょっちゅうお腹が痛くなる子供だったそうです。
庄野真代さんが音楽に出会ったのは6歳の時。
叔父がオルガンを買ってくれて、オルガン教室に通い始め、音楽が好きになったそうです。
中学は歌島中学校
高校は大阪府立東淀川高校
大学は法政大学人間環境学部(2000年に45歳で入学)
中学時代は生徒会活動に熱中し、3年生の時には生徒会長を務めました。
高校時代は機械体操部に所属しながら、楽器の演奏活動も始め、ギターを教わって弾き始めたそうです。
大学受験で第一志望の大学に落ち、浪人することを決意。
浪人中もアルバイトをしながら音楽活動を続け、ヤマハボーカルタレントオーディションに応募し合格。
合格後は上京しレッスンに通いながら、クラブなどでも歌っていたそうです。
一度は大阪に戻り、レストランなどで歌いますがうまくいかず、20歳の時、最後のチャレンジとして、「フォーク音楽祭」に応募。
結果は関西四国決勝大会でグランプリを獲得し、全国大会でスカウトされました。
庄野真代 「飛んでイスタンブール」がヒット
1976年5月、シングル「ジョーの肖像」リリースし歌手デビュー。
同年6月にはオリジナルアルバム「あとりえ」を発売。
デビュー2年目の1978年4月にリリースした5枚目のシングル「飛んでイスタンブール」が大ヒット。
「飛んでイスタンブール」はオリコン週間3位で、1978年度年間19位、累計売り上げは80万枚を
記録しました。
庄野真代さんは「飛んでイスタンブール」のヒットで「第29回NHK紅白歌合戦」に出場しました。
庄野真代 45歳で大学入学
庄野真代さんは45歳の時、法政大学人間環境学部に入学。
大学受験のきっかけは、44歳の時に事故と病気で、立て続けに入院したこと。
庄野真代さんはこの時、
「人間の命には限りがある。その中で、自分はどれだけ夢を実現してきただろう」
と考え、やれてないことことをノートに書き出し、その中に
「環境の勉強をする」
「歌手を選んで実現できていないキャンパスライフを送る」
という2つがあったそうです。
退院後、新聞記事で法政大学が人間環境学部を創立し、社会人入試を行うことを知り、勉強をはじめ45歳で合格しました。
キャンパスライフは、最初は45歳という年齢もあり遠慮していたそうですが、すぐに同化できたそうです。
その後、2002年には学費免除の奨学生に応募し、英国ウエストミンスター大学への1年間留学。
2006年には早稲田大学院アジア太平洋研究科修了しました。
同年にNPO法人国境なき楽団を立ち上げ、音楽を通した社会貢献活動を始めています。
庄野真代の結婚した旦那は?
庄野真代さんが結婚したのは1977年。
旦那は作曲家の小泉まさみさん。
小泉まさみさんは1948年2月21日生まれで、庄野真代さんの6歳年上。
結婚した時、庄野真代さんは22歳でした。
1980年には2人で世界一周旅行に出かけ、1年で26カ国132都市をめぐり、1年はアメリカのロサンゼルスで暮らしました。
しかし、1988年に離婚。
庄野真代さんは33歳でした。
庄野真代の子供は?
庄野真代さんに子供は2人。
2人とも娘です。
長女はアメリカ・ロサンゼルスで出産しています。
現在は孫もいて、2021年5月には、
「うちの5才の孫は、松田聖子ちゃんとユーミンが大好きなんです。」
とコメントしています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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