高原直泰さんは静岡県出身のサッカー選手。
高原直泰さんは離婚歴があるようですが、元嫁はどんな方なんでしょうか?
高原直泰さんは再婚しているのでしょうか?
現在は沖縄でチームの運営もしているようです。
年俸の推移は?
気になったので、高畑直泰さんについて調べてみました。
高原直泰の離婚した嫁は?再婚は?
高原直泰は2005年12月結婚しました。
元嫁は家事手伝いの一般女性。
友人の紹介で出合い、交際期間約2年で結婚に至ったようです。
交際期間が2年だと、出合いは2003年頃で、この頃は高原直泰さんがドイツ・ブンデスリーガのハンブルガーSVにいた頃です。
結婚した2005年もハンブルガーSVにいました。
離婚したのは2011年頃。
結婚生活は約6年でした。
この頃は高原直泰さんが韓国から日本に帰って来た頃になります。
離婚の理由は分かりませんが、結婚していた6年に間に高原直泰さんはドイツ、日本、韓国と3つの国でプレーしていました。
生活環境や国の文化が違うとお互いに苦労もあったのかもしれません。
高原直泰さんと元嫁に子供がいるという情報はありませんでした。
高原直泰は現在は沖縄でオーナー
高原直泰さんは2015年12月15日にスポーツクラブ沖縄SVおきなわ・エスファウ)を設立。
高原直泰さんは沖縄とは縁があったわけではありませんが、
「スポーツで地域活性化をしたい、チームを作ってモデルケースを作ってほしいと声をかけられて」
住民票も移して東京の家や車も処分し、柔道でオリンピック3連覇を果たした野村忠宏さん、元ラグビー選手の福永昇三さんと共同出資で、沖縄でクラブを設立でしたそうです。
沖縄SVの名前の由来は高原直泰さんが2002年から2006年まで所属した「ハンブルガーSV」
ハンブルガーSVのSVはSport Vereinの略で「スポーツクラブ」という意味です。
高原直泰さんはハンブルガーSV時代にシーズンオフやシーズン中にも、チームの選手が近郊の小さい町のイベントに顔を出したり、地元の市民クラブと練習試合をすることもあったそうです。
ドイツ語も分からなかった高原直泰さんは最初は気乗りはしなかったそうですが、慣れてくると、そういう場に集まってくれる人こそがクラブを応援してくれているというのがすごく伝わってくるようになったそうで、その経験がスポーツクラブの設立のつながったそうです。
このクラブは
「さまざまなスポーツ競技を地域密着で行う」
という理念のもとに、沖縄の地域に密着した総合スポーツクラブの活動を目指していて、将来は総合スポーツクラブとしてサッカー以外のスポーツ部門にも活動を拡大していく計画をしているそうです。
すでに、沖縄県衣類縫製品工業組合との協同でかりゆしウェアの新ブランド
「かりゆしスポーツ」
の設立や、「沖縄コーヒープロジェクト」としてコーヒー畑の
「沖縄SVコーヒーファーム」
をクラブが所有しています。
高原直泰さん自身もコーヒーの成長を見守るためにコーヒー畑に頻繁に足を運んでいるといいます。
2020年に山本浩正さんが監督に就任するまで、高原直泰さんがオーナー、監督、選手の3役を1人で務めていました。
サッカーチームの沖縄SVはJリーグを目指し、2016年から沖縄県3部北ブロックに加盟し同年に優勝。
2017年に沖縄県1部に昇格し同年2位になり、翌年の2018年に九州サッカーリーグに昇格。
九州サッカーリーグでは2018年に2位、2019年に優勝しています。
高原直泰の年俸推移
高原直泰さんの年俸推移
高原直泰さんが高校卒業してジュビロ磐田に加入した19歳の時の年俸は400万円前後だといわれています。
ジュビロ磐田に所属した3年間で1000万ぐらいになり、23歳でハンブルガーSVに移籍したときには3000万円。
2002年、27歳でフランクフルトに移籍したときには1億円に近くなっていたようです。
2008年ドイツから帰国し、29歳で浦和レッズに移籍したときには3年契約で自身最高年俸額の1億6000万になりました。
2010年に31歳でKリーグ水原三星に移籍したときも1億6000万円。
2011年に32歳で清水エスパルスに移籍したときには大幅ダウンの2500万円、翌年には4000万円までアップします。
2013年に34歳で東京ヴェルディに移籍したときも4000万円。
2014年に35歳でJ3のSC相模原に移籍した時には、2000万~3000万円といわれています。
2016年に37歳で沖縄SVに所属してからは1000万のようです。
高原直泰さんの生涯年俸はざっと計算してみると10億数千万程になります。
高原直泰 経歴
名前 高原直泰
生年月日 1979年6月4日
身長 181cm
出身 静岡県三島市
高原直泰さんは静岡県三島市生まれ。
高原直泰さんは小学校1年時から地元のスポーツ少年団でサッカーを始めました。
両親に頼み中学はサッカーの名門校、東海大一中学校に進学。
東海大一中学校のサッカー部は、全国中学校大会優勝7回、全日本ユース(U-15)優勝1回と主要全国タイトルを全国中学最多の計8回を獲得している強豪校です。
多くのプロサッカー選手も会い出しています。
東海大一中学校は静岡県静岡市清水区あり、三島市からは50キロ以上離れており、寮などは無かったのか、高原直泰さんは新幹線で中学に通学していたそうです。
中学3年の1994年にはU-16アジアユース代表として選出。
高校は静岡県立清水東高校に進学。
高校時代Jリーグの6チームから入団の勧誘を受け高校卒業後、1998年にジュビロ磐田に加入。
プロデビュー試合で初ゴールを獲得。
2000年、シドニーオリンピックに出場し3得点を獲得。
2001年、アルゼンチンのボカ・ジュニアーズのオファーを受けて移籍。
2002年、ドイツ・ブンデスリーガのハンブルガーSVのオファーを受けて完全移籍
2006年、ドイツ・ブンデスリーガのアイントラハト・フランクフルトへ3年契約で移籍。
2008年、浦和レッズに移籍。
2010年、Kリーグの水原三星ブルーウィングスに移籍。
2011年、清水エスパルスに移籍。
2013年、東京ヴェルディに移籍。
2014年、SC相模原 に移籍。
2015年、沖縄SV設立。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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