高橋惠子さんは北海道出身の女優。
高橋惠子さんの夫はどんな方なんでしょう?
子供は、娘、息子?
高橋惠子さんの失踪事件とは?
高橋惠子さんの若い頃の画像は?
真如苑とは?
気になったので、高橋惠子さんについて調べてみました。
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高橋惠子 経歴
名前 高橋惠子
生年月日 1955年1月22日
身長 162cm
出身 北海道川上郡標茶町
所属 ブロウアップ
高橋惠子さんは北海道川上郡標茶町生まれ。
実家は酪農農家。
高橋惠子さんの実家はかなり田舎で、隣の家まで徒歩で10分もかかったんだとか。
高橋惠子さんの実家は牛だけでなく、豚や鶏なども飼育していたそうです。
しかし、子牛の死産と同時に母牛も死んでしまったため、酪農を辞めて、高橋惠子さんが小学校2年生の時に釧路市に引っ越し。
高橋惠子さん一家は、釧路市で何度か引っ越しをした後、高橋惠子さんが6年生になった時、一家で東京に引っ越し。
高橋惠子さんが中学2年生の時、近所の写真屋で大映のスチールカメラマンにスカウトされ、中学時代は映画会社の大映のの研修所で演技のレッスン、同時に第1回ミスセブンティーンを目指し、に歌の審査があったため、音楽教室にも通ったそうです。
高橋惠子さんは中学時代に女優になる決意をし、太らないように昼食を抜いていたんだとか。
中学卒業後に大映に入社。
高校は通信制の高校に入学するも中退。
1970年、高橋惠子さんが15歳の時、映画「高校生ブルース」で映画主演デビュー。
1971年、TBS系のドラマ「ハイカラ一泊旅行」でドラマ初出演。
高橋惠子の失踪・逃避行とは?
高橋惠子さんは1979年、24歳の時、出演中だった舞台「ドラキュラ」を投げ出し失踪。
その後、若手作家とタイに失踪していたことがわかり、「愛の逃避行」と呼ばれて世間を騒がせ、112日後に帰国する騒動を起こしたことがあったようです。
高橋惠子さんは失踪について2015年に「サワコの朝」に出演した際に、
「これはなかなか一口で言えないことですけども」
「若気の至りというのか…その時は死ぬつもりだったものですから」
「演じることが嫌になったというわけではないんですけども…ある事情から」
と話し、MCの阿川佐和子さんから、
「恋愛絡み?」
と聞かれると
「そうですね」
と認め、
「舞台を辞めることなんか、もってのほかですからね」
と当時は強い決意があったと話しました。
高橋惠子さんは大手事務所には所属しておらず、個人事務所だったことから、まずは舞台関係者への謝罪から、損害賠償なども自分で仕切り、記者会見行ないました。
記者からは、
「あなたは人間失格」
など厳しい言葉も受けましたが、謝罪も行い、その後、1年間の謹慎をしました。
高橋惠子の夫は?
高橋惠子さんの夫は高橋判明さん。
1982年6月に結婚しました。
結婚した時、
高橋惠子さんは27歳。
高橋判明さんは33歳。
高橋判明さんの職業は映画監督で脚本家。
高橋判明さんは早稲田大学時代に映画研究会に所属し、成人向け映画の現場でアルバイト生活を送り、1972年、高橋判明さんが23歳の頃、成人向け映画「婦女暴行脱走犯」で監督デビュー。
高橋判明さんは1980年頃まで、成人向け映画で活躍。
1982年、1979年の三菱銀行人質事件を題材にした、自身初の一般映画「TATTOO<刺青>あり」を監督。
高橋判明さんは同作品で、
ヨコハマ映画祭監督賞
を受賞
高橋惠子さんは同作でヒロインを演じており、この映画で高橋惠子さんと高橋判明さんは出会いました。
同年の2月から交際が始まり、6月に結婚。
交際4ヶ月のスピード婚でした。
高橋惠子さん同作の出演について、
「不安を感じていたのです」
と話しています。
高橋惠子さんは中学卒業後から大手映画会社に所属していたので、「TATOO<刺青>あり」のような、超低予算のインディーズ映画に出演するのは初めてでした。
撮影期間も2週間弱と短かったことも、高橋惠子さんを不安にさせたようです。
しかし、撮影に入ると高橋判明監督のすべてにすばやく、的確な指示によって、厳しいながらも充実した撮影になったと言います。
映画の公開から2週間ほどすぎた頃に、高橋惠子さんは、監督から、
「会ってほしい」
と連絡が入り、高橋惠子さんは映画の話しかと会ってみると、違ったようです。
交際の申し込みのような話しだったそうで、高橋惠子さんは当時のことをインタビューで、
「実際に会ってみると映画の話はほとんどなく、監督の家庭環境や子供のころの話ばかりするのです。最初はいまひとつ何を考えているのか分からなかった私ですが、そのうちに気がつきました。」
「”理想の家庭は”…などと遠回しに交際を申し込んでいることを理解できたのです。私自身はそれまでまったく結婚を考えたことはありません。しかも当時は、失踪スキャンダル→復帰会見から1年半しかたっていなかったのですから…。ですが、真剣な表情で理想の家庭像について話す監督を見ていると、「この人となら…」と思えてきました。」
引用 https://www.tokyo-sports.co.jp/
と話しています。
高橋惠さんと高橋判明さんの交際はこのときからはじまり、4ヵ月後に結婚に至りました。
電撃婚だったことから、披露宴の会場で
「あの2人が1か月で離婚するかどうか」
の賭けが行なわれていたんだそうです。
実は夫の高橋判明さんも、
「1か月で離婚する」
に賭けていたんだとか。
高橋惠子の子供は娘、息子?
高橋惠子さんに子供は2人。
娘と息子がいるようです。
息子は一般人のようで仕事などの情報がありませんでした。
娘は秋山佑奈さんといい、女優などの芸能活動もしていたようです。
娘の秋山佑奈さんは、1983年5月25日生まれ。
2007年8月に、テレビ東京の「大人の夏休み」では高橋惠子さんの娘として出演。
2008年5月には、父親の監督した、西田敏行主演映画「丘を越えて」で遊女役で映画デビュー。
秋山佑奈さんは、2009年7月に母の高橋惠子さんと「徹子の部屋」に出演した際に、2人の娘がいて、当時で次女が4歳、4世代で4人が住む大所帯であると話しています。
ちなみに、次女は自宅の浴室で「水中出産」で産んだそうです。
2019年9月にやはり親子で「徹子の部屋」に出演した時には、子供は5人に増えており、子供の年齢は、
16歳、14歳、8歳、7歳、生後1ヶ月
と話していました。
現在では高橋惠子さんのマネージャーをしながら、ドッグトレーナーとしても活躍しています。
高橋惠子の若い頃の画像は?
高橋惠子さんの若い頃の画像。
#太陽にほえろ 第43話「きれいな花にはトゲがある」、第44話「闇に向って撃て」4枚。シンコ役の #関根恵子(#高橋惠子)さんが当時18歳とは思えぬ大人っぽさ。 pic.twitter.com/KAmV6TrqrY
— メイティーじゅう (@meit10) March 6, 2016
高橋惠子さんが1972年~1974年に日本テレビ系刑事ドラマ「太陽にほえろ!」にシンコ役で出演した時の画像です。
当時、高橋惠子さんは18歳~20歳。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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