中村梅雀さんは東京出身出身の俳優
中村梅雀さんは離婚歴があるようです。
中村梅雀さんは再婚したようですが、現在の嫁(妻)はどんな方なんでしょう?
中村梅雀さんの子供は息子との話が。
中村梅雀さんの父親は歌舞伎役者のようですが、どんな方なんでしょう?
中村梅雀さんは歌舞伎を辞めたとの噂が。
中村梅雀さんはベースが得意でベーシストとしても活動しているようです。
気になったので、中村梅雀さんについて調べてみました。
中村梅雀 経歴
名前 中村梅雀
本名 三井進一
生年月日 1955年12月12日
身長 167㎝
出身 東京都武蔵野市
中村梅雀さんは東京都武蔵野市出身。
中村梅雀さんは代々続く歌舞伎役者の家系に生まれました。
屋号は成駒屋。
母親はクラシックピアニスト
1965年、中村梅雀さんが9歳の時、新橋演舞場「勧進帳」太刀持ち役で初舞台
初名は「中村まなぶ」
1965年、中村梅雀さんが12歳の時、NHKの時代劇「文五捕物絵図」でドラマ初出演
1972年、中村梅雀さんが16歳の時、映画「海軍特別年少兵」で映画初出演。
1980年、中村梅雀さんが24歳の時、劇団前進座に入団。
同年12月、歌舞伎座公演で二代目中村梅雀を襲名
2007年、中村梅雀さんが51歳の時、劇団前進座を退団。
現在はフリーとして活動
中村梅雀の高校は?
中村梅雀さんの高校は
東京都立荻窪高校
東京都杉並区にある公立高等学校で男女共学。
現在の偏差値は43
荻窪高校には定時制のあるようです。
中村梅雀の大学は?
中村梅雀さんの大学は
桐朋学園短期大学演劇専攻
東京都調布市にある大学
学科は音楽科と演劇科。
音楽と演劇の大学だけあって、
女優の高畑淳子さん、芸人の近藤春奈さん(ハリセンボン)、斉藤慎二さん(ジャングルポケット)、声優の宮村優子さんなど多くの著名人を輩出しています。
中村梅雀の父親は誰?
中村梅雀さんの父親は
歌舞伎役者の中村梅之助さん
中村梅之助さんは1930年2月18日生まれ
戦前から子役として、舞台だけではなく映画にも出演していたそうです。
中村梅之助さんは時代劇への出演が多く、必殺仕事人シリーズには6回、NHKの大河ドラマには2013年までに、5回出演しています。
1977年の大河ドラマ「花神」では大村益次郎役で主演を務めました。
1970年のテレビ朝日の時代劇「遠山の金さん捕物帳」や1973年の「伝七捕物帳」でも主演で出演しています。
2016年1月18日、肺炎のため死去
85歳でした。
中村梅雀 劇団前進座
中村梅雀さんは1980年、24歳の時に劇団前進座に入団。
劇団前進座は、1931年に創立された、東京都武蔵野市を本拠とする歌舞伎劇団。
中村梅雀さんは前進座で、歌舞伎、演劇を学んだそうです。
歌舞伎劇団ですが、旗揚げ時から女優が多く所属しており、演目のレパートリーも歌舞伎だけではなく、時代劇・現代劇・児童劇と幅広く、「演劇のデパート」との異名が付けられていたそうです。
中村梅雀さんは24歳から51歳まで27年間所属していました。
中村梅雀の前の嫁(妻)は?
中村梅雀さんは以前に結婚しており、その後離婚。
中村梅雀さんの最初の嫁(妻)の情報は見つかりませんでした。
ただ、最初の嫁(妻)との間には娘がおり、20017年現在では27歳になるようです。
中村梅雀さんは娘と良い関係のようで、中村梅雀さんが、現在の嫁(妻)との間に子供が生まれた時には、喜んでくれたそうで、
「2人で歩いたら、私の娘と思われるわね」
と言っていたそうです。
中村梅雀の現在の嫁(妻)は?
中村梅雀さん2006年の再婚
嫁(妻)は女優の瀬川寿子
瀬川寿子さんは中村梅雀さんの25歳下
結婚した時
中村梅雀さんは51歳
瀬川寿子さんは26歳
瀬川寿子さんは以前、中村梅雀さんが所属していた前進座に所属しており、2人はそこで出会ったそうです。
中村梅雀の子供は息子?
中村梅雀と検索すると「息子」のキーワードがヒットしましが、中村梅雀さんの子供は息子はいないようです。
中村梅雀さんの子供は、前妻の間に娘が1人、現在の嫁(妻)との間に娘が1人で、子供は娘が2人です。
中村梅雀さんと現在の嫁(妻)との間の子供は、2015年8月に生まれました。
子供が生まれた時
中村場k雀さんは59歳
嫁(妻)瀬川寿子さんは34歳
中村梅雀さんは子供が生まれたことをブログで報告し、
「私達夫婦に待望の子供が生まれてきてくれました 3300グラムの元気な元気な女の子です」
「生んでくれてありがとう 生まれてきてくれてありがとう」
綴りました。
中村梅雀さんの前妻の娘とは、25歳違いになるようです。
中村梅雀 大河ドラマ
中村梅雀さんは大河ドラマの出演回数が多く、初出演の1969年の「天と地と」の武田勝頼役以来、2017年現在では、11作に出演しています。
1969年の「天と地と」に出演した時、中村梅雀さんは13歳で、このドラマには父親の中村梅之助さんと祖父の中村翫右衛門(かんえもん)さんも出演しており、親子三代で出演していました。
多くの出演した大河ドラマの中でも。1995年に出演した「八代将軍吉宗」の徳川家重役は話題となり、中村梅雀さんの知名度を大きく上げました。
中村梅雀は歌舞伎を辞めた?
中村梅雀さんは代々続いている、歌舞伎の家の生まれですが、ドラマや映画の出演が多く、一般的には歌舞伎役者というよりは、俳優のイメージが強いです。
24歳から所属していた、歌舞伎劇団「前進座」も51歳の時に退団していますし、中村梅雀さんの公式ページにも”俳優 ベーシスト”とかいてあり、歌舞伎役者とは書いていません。。
中村梅雀と検索すると「歌舞伎 辞めた」とのキーワードもヒットし、中村梅雀さんは歌舞伎役者を辞めたと思っている方もいるようです。
しかし、前進座を退団してフリーになり、歌舞伎の舞台には立ってはいないようですが、歌舞伎役者を辞めたというわけではないようです。
中村梅雀さんが歌舞伎役者を「辞めた」「廃業した」との情報はありませんでした。
過去には、中村獅童さんの父親の初代中村獅童さんが歌舞伎役者を辞めて、映画プロデューサーになったケースや、時代劇俳優になるために歌舞伎役者を辞めた萬屋錦之介さんのケーズがありますが、中村梅雀さんはそれとは違うようです。
中村梅雀 ベース
中村梅雀さんの公式ページのプロフィールに、「ベーシスト」と書いてあり、中村梅雀さんはベーシストとしても活動しているようです。
中村梅雀さんはベースの魅力についてインタビューで
「ベースの魅力は何と言ってもあの低音のブーンという音と振動。」
と語っています
中村梅雀さんの母親はピアニストで、幼少期から音楽に触れて育ったそうですが、いろんな楽器の中でも、コントラバスやパイプオルガンの低音など、低音が気になっていたそうです。
中村梅雀さんが中学生になり、ロックを聞いてベースに出会い、三味線が引けた中村梅雀さんは、三味線を低くチューニングしベースを再現。
その後、母親にお願いして12歳の時にベースを買って貰ったそうです。
中村梅雀さんはベース演奏についてインタビューで
「曲の要で全体の音を支え、グルーヴを出す心地良さ。 理屈抜きでとにかく気持ち良いのです。 」
「とにかく好きなんです(笑)」
と語っています。
中村梅雀さんは若い頃は、暇さえあれば何時間出もベースを弾いていたそうです。
2008年には、全12曲収録した初のソロCDも発売しています。
中村梅雀さんの公式ページには、中村梅雀さんの所有するベースを紹介するページがあり、2017年現在では24本ベースが紹介されています。
さらに、ベースの画像をクリックすると、いつ購入したか、どんなベースなのかなど別ページで、いくつもの画像付きで細かく説明しています。
中村梅雀さんのベース愛は相当なようです。
ちなみに、ギターも14本所有していて、これらも同じように説明のページがあります。
中村梅雀 最後に
中村梅雀さんと父親は大酒のみで、飲むと芝居のことやプライベートのことでケンカに近い状態になったこともあったんだとか。
しかし、中村梅雀さんは50代半ば頃に医者にお酒をセーブするように言われ、現在は少しの量のお酒をじっくり味わって飲んでいるそうです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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